奈良市の興福院町(こんぶいん)(現:尼ヶ辻町)の太鼓台保存会です。昔(江戸時代 1665年頃まで)は、尼ヶ辻駅(近鉄橿原線)の近くに興福院があり、それを町名に冠する天神社の神輿を守っている会です。毎年、10月の体育の日、前の土日に秋の五穀豊穣祭として宵宮、担ぎ出し(巡行)を行っております。
太鼓台の維持、管理、運営は皆様方のご協賛、ご祝儀により成り立っております。
ご協力のほどよろしくお願いします。
後記・・・
「興福院」と書いて、「こんぶいん」
「興福院」は、なかなか「こんぶいん」と読んでもらえません。「こうふくいん」と読む人が多いのではないでしょうか。
現在の興福院は、奈良市法蓮(ほうれん)町にある浄土宗の尼寺ですが、1665年に移設されるまでは、近鉄尼ヶ辻駅の近くにありました。770年(宝亀1)藤原百川(ももかわ)、あるいは藤原良継(よしつぐ)の創建といわれています。その前身は和気(わけ)氏が聖武(しょうむ)天皇の学問所を移して開いた弘文院(こうぶんいん)で、中興開山は羽柴(はしば)秀長の後室光秀尼として知られています。今でも、墓地や井戸など旧寺院の名残が伺える場所が残っています。現在の住居表示に変わるまでは、このあたりは興福院町(こんぶいんちょう)と呼ばれていました。「興福院町太鼓台保存会」(こんぶいんちょうたいこだいほぞんかい)には、歴史のある地名への想いも込められています。